老後の資金はいくら必要か?という問題について

老後の資金はいくら必要か?という問題について

 

60歳で3千万あれば安泰!いや、もっと必要だ!

 

と様々な言葉がネット上でも飛び交っています。この問題や議論が無駄なような気がしてならないのでそう思う理由を挙げていきたいと思います。

 

理由①:前提条件が多すぎる

 

結婚しているかしていないか?年金を支払っているかいないか?定年後も働いているかいないか?など条件が様々にあり過ぎて、条件によって全く違ってきます。

 

とある銀行の資金の目安の案内・・・

総務省の家計調査報告によると、高齢無職世帯(夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯)の公的年金などの社会保障給付は、1カ月におよそ19万円です。同じく家計調査によると月々の支出はおよそ27万円であるため、不足分は月々8万円程度となります。年間で考えると、8万円×12カ月で96万円。老後期間が20年で1,920万円、25年で2,400万円となり、これに家のリフォームや自動車購入、医療など加えると老後資金は3,000万円程度が目安であるといえます。

 

一見数字で理論立てて書かれていますが、この文言の中だけでも、

 

「高齢無職世帯」

「支出が27万円」

「老後期間」

「自動車購入」

 

などなどの条件が満載です。家のローンがまだあったらどうするのか?大病を患ったらどうするのか?予測できるものもあれば、予測できないものまで多々あります。

 

そのため、“目安”としているのも、あくまで参考にしてください程度なのです。

 

 

 

理由②:結局、いつ死ぬか分からない

 

理由①の中の銀行の案内の中で、「夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦」が条件と書いてあります。

その前に亡くなってしまったら、この案内自体もそもそも無駄になってしまいます。

 

確かに、デスノートのようにあなたは、20●●年XX月YY日に死にます。とわかっていたのであれば、金額の目標設定をして老後資金を蓄えることは確実に生活に安心感を与えるものになると思いますが、決してそうにはなりません。

 

 

 

理由③:資金に不安を感じても、不安をずっと抱えて生きるのは本末転倒

 

資金に不安を感じてしまえば、例え1万しか貯金がない人が1億円貯めても、一抹の不安は残ってしまいます。

 

散在して、今だけを楽しめ!というわけではないです。

人生において蓄えは必要です。

 

しかし、必要以上に考えてもそれ以上の不安は拭いきれないと思います。

 

中庸という言葉があります。その意味は、極端な行き方をしない、偏らないという意味です。

 

将来なんて知るか!今全てを使い切る!ということでもなく、

何があるか分からないから貯金に全てを回すというずっと不安を抱えるとうことでもなく、その間の感覚が必要となってきます。

 

中にはかなり破天荒な生き方をする人もいます。

 

中には将来にずっと不安を抱える人もいます。

 

生き方の否定ではないですが、たまには中庸を考えてみるのも大切です。