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鶏口牛後という言葉を都市と地域で考えてみる

 

鶏口牛後という言葉をご存知でしょうか?

 

故事ことわざ辞典では、

 

大きな集団の中で尻にいて使われるよりも、小さな集団であっても長となるほうがよいということ。

 

という説明があります。

 

この牛=大きな集団=都市、鶏=小さな集団=地域と捉えてみると、また同じことが言えるのかどうかを考えます。

 

 

都市に住む人、地方に住む人、違いは何か?

 

 

都市には、様々なジャンルで、技術やアイデアを持った人がいます。一方で、人口的にも地域では都市と比較して、そういった人たちはまだまだ少ない状態です。流通する資本も同じことが言えます。都市において1日で流通する総額よりも、圧倒的に地域の方が少ない事でしょう。

 

その状況下で、都市は牛たりえるのか?地域は鶏たりえるのか?という事です。

 

情報技術が発展して、この都市と地域は圧倒的に近くなりました。通信技術が一番貢献度としては高いでしょう。そう思うと、牛と鶏と例えることは出来ないのではないかとも思います。

 

地域の中で私が実感したのは、通信可能な情報を取得できる環境だけ考えると、牛と鶏の例えはあまり無いのかもしれないという事です。ここで重要なのは“通信可能な情報”のみ限定している点にあります。

 

 

 

情報が抱える鮮度というもの

 

情報は鮮度がものをいうと言いますが、鮮度でいうとウェブ上に乗っているものは少なからず古いものです。一番鮮度の高い状態は、キーマンや影響力のある人が発言した瞬間に居合わせられるかどうかにかかっています。

 

その点で行くと、“人と直接会う”という事が間違いなく必要になってきます。

 

ここで得られた情報というのはウェブには掲載されることは無いもので、水面下で進んで行き、満を持して発信されることとなります。

 

“人と会う”ことでしか得られない情報に制限をかけた場合、その距離感や雰囲気が分かるためには、その場所に居合わせなければいけません。

 

 

そう思うと、鮮度の高い情報は、都市においても、地域においても、個々の場所で発生します。そのため、明確に都市で生活することと、地域で生活することに差が出てくることになります。

 

鶏口牛後の先を考える必要性

人がいない分、地域の方がまだまだ技術やアイデアを持った人は少ないため、鶏口牛後の精神は活きてくると思います。

では牛後がダメか?というとそうではありません。

さらに重要なポジションは、都市の情報と地域の情報をどちらも持てる事ができれば、そのMIXで新しいモノやサービスを生み出すことが可能です。これを行うためには、都市だけで仕事をしていても、地域だけで仕事をしていても難しいでしょう。だから、今でも電話会議、TV会議だけではなく、移動を伴った出張は無くなりません。

 

フットワークを軽く、鶏口牛後より先の、鶏牛口となりえるような進化が求められていく事でしょう。

 

 

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