夜と霧
ヴィクトール・フランクルの有名な書籍。今回は新版ではなく、原著1977年版のものを読んだ。
事実、アウシュヴィッツでの死者数が110万人にのぼる。第2次世界大戦での日本の民間人の死者が30万人だと思うと、因みにポーランドでは民間人の死者が591万人だ。
日本の民間人死者:30万人
アウシュヴィッツの死者数:110万人
ポーランドの民間人死者:591万人
どれだけ大規模にホロコーストが行われたかが分かる。
アウシュヴィッツ強制収容所からの体験を心理学者の観点から冷静に分析しつつ語られている。今更ながら読んだのだが、フランクルの言葉から受けた私の考えは、
1.どの場所にいても、精神的な自由は自らの意思があれば持つことが出来る
2.将来が予測できない不安定な環境は、精神を更に不安にさせる
3.情報が入らない環境下の方が幸せなこともある
この3つが大きく印象に残り、こういった強いものがこの本から感じられるからこそ、今までもこれからもベストセラーとして読まれ続けるのだろうと思う。
1.どの場所にいても、精神的な自由は自らの意思があれば持つことが出来る
常に強制的な使役を受け、劣悪極まる環境下にいようとその中での精神や考えは何人も妨げることが出来ないということである。
これはフランクルがアウシュヴィッツにいたときに裕福な家庭に生まれた女性に話しかけたときに、女性はアウシュヴィッツに生えている樹といつも話しているということを語ったことに対してそのような分析を行っている。
2.将来が予測できない不安定な環境は、精神を更に不安にさせる
アウシュヴィッツ到着後、ガス室行きか労働者になるか、選別される。その選別が来るとき、アウシュヴィッツからダッハウに移送されるときの不安や、真の身体的な解放を得たときの書き綴られ方から見て取れるもの。
それは、全ての行動が自身では決められない環境下で、自然でもなく同じ人間が生と死を判断しえる状態が、「いつ」あるのか分からないという不安定さが招く精神的な不安は更に人を苦しめる。
3.情報が入らない環境下の方が幸せなこともある
フランクルはアウシュヴィッツの最初のガス室行きか労働者になるかの選別で妻と子供を亡くしている。
ただし、その情報を知ったのは解放された後の事であり、それまでは生きているか死んでいるか分からない状況の中で、誰かが待っていることを願うことが出来た。
それは、フランクルの中では生きるための希望となっていたのは確かで、事前に死を知っていたら、生きて戻ることが出来なかったかもしれない。
心理学者、精神科医という観点から見られているため、カポー(囚人を監視した囚人)の心理や収容する側の心理など別の側面からも考えが述べられている。写真については、目を背けたくなるものが多くあるが事実としてご覧いただくことをおすすめする。