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新国立競技場工事完了の裏で、ザハ・ハディド案をもう一度考える

新国立競技場が11月30日に全工事完了する、工事費1,569億円

隈研吾氏デザインの新国立競技場がついに工事完了とのこと。完全に間に合わせるあたりの安心感が、ブラジル開催のオリンピックとは違う。流石日本と再度思わせられる。ただし、関係者の話によると一部の競技施設は工事がかなり大変になっているようだが・・・。とはいえ、東京オリンピックの最大のシンボルとなる新国立競技場が完成するのだ。

隈研吾氏のデザインの特徴は、ルーバーを多用するところにあるが、屋根の裏側の部分にしっかりと使われていた。

しかしながら、今でも流線型の近未来型のザハ・ハディド案の新国立競技場が目の裏に焼き付いている。

そういう人は私だけではないはずだ。

あれが本当にできるかもしれない!?そんなことに期待を膨らませた中、工費の問題で白紙に。

ここで未来に対する期待が失われた。

 

確かに、今回の新国立競技場は日本的な良いデザインに仕上がっている。しかし、形容詞として的確なのは「収まっている」だろう。

最初の新国立競技場のコンペの時には「FOR ALL(いちばんをつくろう)」と題し、シンボリックなものを作ろうとしていた。

JAPAN SPORT COUNCILによる「新しい国立競技場」のオフィシャルサイト。デザイン・コンクールの概要をはじめ、さまざまな方からのメッセージを掲載。応募作品についても、こちらのサイト上にて随時オープンにしていくことで、世界で初めてのほんとうにみんなで創るスタジアムにしたいと思います。
新国立競技場|NEW, NATIONAL, STADIUM, JAPAN - 新国立競技場|NEW, NATIONAL, STADIUM, JAPAN

審査委員長には、安藤忠雄氏、海外からはアップル新社屋を手掛けたノーマン・フォスター卿、ロンドンのミレニアム・ドームで有名な、リチャード・ロジャース氏が審査員として入っている。

”いちばんをつくろう”というお題に対しては、まさしくザハ・ハディド案が一番だったはずだ。

あんなスタジアムは世界中見てもどこにもない。

 

記憶に残った北京オリンピックスタジアム”鳥の巣”

話を少し前に戻すと、誰しもがオッと思ったのは、北京オリンピックの鳥の巣ではなかろうか?ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した鳥の巣自体が構造となっているあの斬新な建物は今でも記憶に残っているはずだ。

一方でブラジル(リオ)はどうだろう?全く記憶にないはずだ。そもそも、リオオリンピックでは、既存のサッカースタジアムを改修し開会式などに利用したからという理由もある。

新しく作るのであれば、その未来を作らねばならないのにもかかわらず、「収まってしまう」のであれば、リオオリンピックと同じく旧国立競技場の改修や増築で事足りたのではないだろうか?

個人的にザハ・ハディドの建築が好きなこともあり、世界の中の色々なザハ建築を見てきた中で行くと、まだ、ザハ・ハディドの日本での固定された建築は無いのだ。(移動式構造物は、シャネルのモバイルアートプロジェクトで日本で披露されている)

 

世界に散らばるザハデザイン、魅了するものは未体験の空間にあり

ドイツのヴァイル・アム・ラインにあるヴィトラ・ファイヤーステーション。こちらはザハ・ハディドの初期作品だ。アンビルドの嬢王(アンビルド=設計はするが実現しない)と呼ばれた中で初期作品の中を体験できる珍しい施設だ。ファイヤーステーションと名付けられているが、今は展示室に代わっている。理由は、壁や床がナナメになっていて平衡感覚に違和感を生じる消防員たちが出てきてしまったことにある。初期作品では、後期作品にみられる流線型は見られず、エッジの利いた建物になっている。

その部分は、ダニエル・リベスキンドの建築に近しいものがあった。

デンマークのオードラップゴー美術館。ザハ・ハディド中期の作品。この辺りから流線型、曲型が出はじめる。照明も流線型を意識した配置がされており、未体験空間が味わえる美術館になっている。ちなみに写真のせり出している部分は長細いミーティングルームまたは食事会場となる。レム・コールハースに師事していたこともあり、床と壁、そして天井が一体になっているデザインも見られる。

この美術館自体の所蔵は大したことは無いのだが、やはり建築見たさに、アクセスは悪かったがわざわざ足を運んだ。地面からせり出した床、そして壁は圧倒的な違和感を感じさせてくれる。

 

アゼルバイジャン、バクーにあるヘイダルアリエフ文化センター 。後期作品になると、大幅な流線型の使用が見られる。内部にもこの流線型が現れるので、空間的にも未体験の体験が味わえる。また、この文化センターはバクーを象徴する建物として前面に大きく広場が設けられている。

このほかにも韓国ソウルの東大門DPや遺作となる台湾の新店余裕隆城が2019年1月に日本の熊谷組の施工によって着工している。

 

レガシーとなり未来に向けたシンボルになってほしかった

個人的な主観がかなり強い記事になりましたが、兎に角オリンピック後も使われ続け、愛されるべき新国立競技場となることを願うばかり。記憶に残るオリンピックは選手の力強いパフォーマンスと、建築がなせる業になることを信じて。ザハ・ハディドアーキテクツはあるものの、本人の思想がしっかりと入った建築は、亡くなられた今、もう出てくることはないのかもしれない。

だからこそ、ザハ・ハディドの最後のシンボルとなるはずだった、新国立競技場が実現しなかったことに、寂しさを覚える。

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