サミュエル・ウルマン 青春の詩
この詩との出会いは、十数年前の安藤忠雄さんの講演会に何度か行っていた時だった。
いつも安藤さんの講演の最後では、この詩の紹介があり、まだまだこれからという事を聴者や自分にも言い聞かせていらっしゃった節があった。
青 春
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、
事に處する(しょする)剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽い
つくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる
サミュエル・ウルマン
ユダヤ人の両親のもとに生まれ、そのまま渡米し、社会活動に携わったウルマンは、この詩を70歳に書き上げたそうだ。
信念と自信さえ持ち合わせれば、それは若い証拠であり、何歳だろうと恐怖や疑惑におびえていては置いているのと同じと言っている。理想を語ることが恥ずかしいと思っていた時代があるが、それは単純な怯えであり、自分自身への疑惑と同じことなのだろう。語ることで生まれる信念はあり、語らなければ、言っていないことを逆手に取ってしまい逃げる理由につながる。
青春の中に人生があり続けるか否かは、最終的には自分の心の持ちよう、ということを短い詩の中で力強く表現されており、安藤さんが好きなのもよくわかる。安藤忠雄さん自身は、既に何か所か臓器の摘出をされていらっしゃるが、今でもそんなことは微塵も感じさせない活動ぶりです。安藤さんの講演会は実体験からの話がほとんどで、あまり他の方では話さない建設コストの話や、まちづくりに対する現場感覚のお話がたくさん盛り込まれるので、90分の講演会などはあっという間に終わります。
蛇足ですが、一度講演会で安藤さんに質問してみたことがあります。
私:「大阪の梅田の地下街が外の人にとっては非常に分かりにくいと思うんですが、どうすればいいと思いますか?」
安藤さん:「地面の色を変えて、どっちに何があるか分かるようにしたらいい。ただ迷路になっているのも、それはそれで面白いんじゃないか?」
という回答でした。