21世紀に生きる君たちへ 司馬遼太郎が伝えたかったこと
10年ほど前に大阪にある司馬遼太郎記念館を訪れた。
目的は、安藤建築を見ることで、司馬遼太郎については当時あまり本を読んでいなかった(にも程があるが)ため、本のタイトルを知っているくらいであった。
展示はどれだけ司馬遼太郎という人が、歴史の文献を読み漁った結果、小説が出来上がっているかのように、
手が届かないところまで並ぶ書庫というものだ。この文献の膨大な量に訪れた人は圧倒される。
一方で、展示を見ていくと教科書の本で掲載されているという司馬遼太郎が子供たちにあてたエッセイがあった。原稿にして数ページの作品だが、この作品が完成するまで何度も何度も推敲を繰り返し、子供たちに伝えたいことを、凝縮したそうだ。その推敲原稿が展示されていたが、この手書きで何度も文字を繰り返し、あれではない、これでもないとその書いている状況がいかにも分かるようだった。
司馬遼太郎はこれまでの小説の中で、2000年という過去を見てそれを伝えることはできるが、子供たちと司馬とで決定的な差があることを伝える。それは、未来が見えるか否かということだった。
もし、「 未来」という 街角 で、私が君たちを 呼び止めることができたら、どんなにいいだろう。
「田中くん、ちょっとうかがいますが、あなたが 今歩いている二十一世紀とは、どんな 世の中でしょう。」
そのように質問して、君たちに 教えてもらいたいのだが、ただ残念 にも、その 「未来 」という 街角には、私はもういない。
だから、君たちと 話ができるのは、今のうちだということである。
司馬遼太郎 21世紀に生きる君たちへ(抜粋)
抜粋からは、司馬遼太郎の子供たちへの羨ましさや寂しさが一部に滲み出ている気がする。とともに、子供たちへの力強く生きてほしいという願いが一文字一文字に出ている。
大人向けの小説がほとんどを占める著者の書物の中で、唯一といっていいほどこの文章だけは子供たちへの遺言とも捉えられている。
このエッセイを託された子供たちは、大学生から新社会人になっている。
ここからが託された著者の願いの実現の時なのだろう。
私も大学生でここを訪れてから、このエッセイがずっと印象に残っていて、今日はこのエッセイを紹介しようと思った次第だ。
2018年も終わりまで残り16日となった。
2019年には元号も変わる。
司馬遼太郎はあの世で、読んでくれた人たちの日々の活動を見ながら、新しい歴史小説を書いているに違いない。