2008年のリーマンショックより12年
リーマンショックより12年がたった2020年。東京オリンピックは延期になり、たらればを話せばキリがないが、コロナウィルスが蔓延していなかったら、ちょうど今頃、ニュースでは選手の元気に練習する姿で溢れかえっていたことだろう。そして、スポーツバーでは前哨戦の決着で毎日盛り上がり、仕事では東京オリンピックの何かの仕事で忙しく、家庭では好きな選手の話題などで盛り上がっている。
しかし、そうはならなかった。
2008年のリーマンショック時、私は丁度、大学院生でVRの研究をしていた頃だ。大学生からすれば、このリーマンショックは他人事に近かった。なんか、経済大変そうだね。そのくらいだ。しかし、2010年を迎えたときの就職活動で、まさにこのショックの影響を垣間見ることになった。
大学生で就職した人たち(2007年)は、順風満帆で内定をいくつも取っていた話を聞いた。
一方で、大学院生に進学した私。いわゆる10入社と呼ばれる世代だ。各社がリーマンショックからの復活が見えず相当な数の求人を絞っていた時代である。
こうも、環境が違うものかと驚いたのは覚えている。
ただ、結構嬉しかったのは、入社してから「10入社は優秀だなぁ」と上司から色々と言われる機会があったことだ。これは私ではないが、同期入社として非常に頼もしく、それだからこそ同期チームが強かった気がする。弱音を吐かず、兎に角前向きな発言に囲まれていた。
ショックの中で得るもの、捨てられるもの
最近10年サイクルで何らかのショックが起き、その後、革命が起きている。リーマンショックの時は、IT革命だ。IT自体は、リーマンショック前にもブームにはなっていたが、リーマンショック後に明確化した。
その時に、得られたものは間違いなく情報だ。逆に捨てられたものは、不要なモノ全てだ。
不要なモノ全てというと、おおざっぱすぎるが、簡単に言うと、生活や仕事を振り返った時に、「これ、いらないよね?」と思われたもの全てだ。危機が起こると、人はこれまでの人生を見直す。そして改善に向かう。新しいITというものを駆使して。
IT革命前後で多くなってきたものは、日本の中に限られるかもしれないが価値観の変化もある。
いわゆる高校に行かなければならない、大学に行くべきだと思い、同世代が一様に同じような20代前半までを歩んできた人生がこのころから崩れてくる。それは、幸福とは何かという根幹を考えたときに、これからその道に進んでいいのかと問いかける場面から始まる。
その問いかけが多くなってきたのも、2010年頃からではないだろうか。私が思うに、なんとなくその道を進んでみたという考えから、自分で決めて進んできたという人が多くなってきたことが考えられる。
コロナショックでの消費行動と価値観の変化
コロナショックとリーマンショックとの違いは、経済ダメージだけのリーマンショックとは違いヒトの身体まで影響がでる点にある。
ビルゲイツがTEDで、今後、戦争よりも恐ろしいものがある。それは疫病だと話している。
ショックに伴い、10年前と同じことが起こる。一つは、不要なモノが捨てられる。
では次に得られるものは何なのか、それ即ち次の革命とは何なのか。
人々はさらに考える。自分に問いかける。問いかけるのちに出てくるのは、これまでも行われ続けてきた幸福や価値観の再確認だ。
幸福革命、価値革命。
そんな感じで言えるかもしれない。
あらゆる、価値観のある(ようなもの)が、人それぞれでまるで違う世の中だ。
IT革命の次に来るもの
私は未来人でも無いので、そんな時代が確実に来るとは言えないが、徐々に増えているのは私の周りの人々の生活を見ていても分かる。多様化が進み過ぎるとどうなるか、家庭、仕事以外でコミュニティが巷では増え、その繋がりが世界中に当たり前に広がる世界の中で自分自身は何が出来るだろうか?何が提供できているだろうか。
そんな予想の中で、新しいサービスや価値を作っていく必要がある。
さっきの価値のさらなる多様化が本当に極まれば、価値を先に作ったものが主導権を握る。
リードする人になるか、フォローする人になるか。それもまた価値観の違いが決めるのだろう。