作業屋と仕事人
作業をするな、仕事をしろ
と、前の会社で働く姿勢として、モットーとして、言ってきました。
その意味は、
作業=誰がやっても、同じ結果になるもの
仕事=違う人がやると、違う結果になるもの
です。置き換えると、
作業=Aをやってと、指示されてAを行うこと
仕事=指示されていないけれど、為になると思って行う提案・企画
とも言えます。
しかしながら、まったく作業を全てなくすことも、難しいです。なので、できる限りその時間を圧縮することに努めます。
究極的に、AIが進化すれば、作業というものは、人間がやることではなくなるのでしょう。
最近、Amazon GOのついに、日本進出が話題になりましたが、万が一この仕組みが日本中に浸透すれば、
コンビニにおける、誰がやっても同じ結果になる「商品をバーコードで打つ、お金を支払い、袋詰め」するという作業は
まったくなくなることになります。
日経MJ(電子版より:https://www.nikkei.com/article/DGXKZO34388550R20C18A8H46A00/)
ただ、これは極論の話で、実際は、コンビニの店員が日本でまったくいなくなることはあり得ない。
理由は、例えば、レジ打ちはなくなるかもしれないが、いつも来る人との他愛もない雑談。これは、私の定義からすると
仕事に相当します。雑談は、違う人がやると、違う結果になるものに値するからです。
考え方の違いが仕事には現れ、それが世界を変えていくというのは面白いです。
そして、作業ではなく、仕事をすることで、いわゆる仕事のやりがいというものも生まれてきます。
違う結果になるということは、仕事に自由があるということで、その成果物は、あなたが仕事をやらなかったら
無かったものになります。仕事の中での価値はそこにあります。
その成果物が世に浸透して波及効果があればあるほど、その人のやりがいも高まって、私がいなかったら出来なかった
という自己承認も高まります。
また、作業と仕事は同時並行で進められます。作業は、主にからだを使いますが、仕事の最初は常に頭から生まれます。
どんなことをしようか?どんなものを作ろうか?
これには体を使う必要はありません。ここから固まると、仕事も、からだを使うようになってきます。
無数に出てきたアイデアから、その一つをからだを使って、創り出していきます。そこには、辛さは無いでしょう。
そこから、何かをだれかを変えていくことで、さらに次は何をしようかと考えます。このサイクルを作っていくのが、
仕事の醍醐味で、面白いところです。
作業の改善も、仕事です。作業を同じように繰り返し続けるのは、やはり作業のままです。
今日は金曜日。ぜひ、来週から仕事をしてみてはいかがですか?