あなたはこの世に何を残しますか?
仕事をするために必要なものは、よく、ヒト、モノ、カネと言われます。
これはその通りだと思いますが、最近は、モノについては、家や車などの有形のものではなく、サービスという無形のものがフォーカスされています。
今から40年ほど前の高度経済成長期は、この価値が人それぞれほとんど同じようなものでした。
30歳までには結婚して子供は二人以上で、子供は高校進学するのが当たり前、大学に行ければなおよし。
三種の神器と呼ばれる家電を持ちつつ、車は最終的にはクラウン。
お金はあればあるほどよい。
そういった同一の価値観が約10~20年前から崩れていきました。
特に痛感するのは、車を保有しない若者たちに現れていると思います。別に必要のないもの。としてどんどん保有することをしなくなり、そこにカーシェアリングという別のサービスが現れます。
生きていくには、衣食住さえあればよく、ほかの人が高級車をもっていても、同じものを所有したいという共感もほとんどえられなくなっています。
共感というのは現在の一つのキーワードで、日本人全ての人が価値がバラバラになろうとも、共感を得たい、得てほしいというシーズとニーズはいつも存在しています。
しかも、共感を探すことも昔ならば、コミュニティを探すだけで一苦労だったのが、すぐにウェブを通して情報を取り、会い、話し、共感することができます。
その中で、ヒトが最後に行きつくところは、誰しもが同じ死です。
ではなぜ、同じ最後に行きつくのに、ヒトはこれだけ多様な価値観の多様な道を辿るのか?
それが、一人一人の経験の違いから生まれる価値観の多様性です。
経験については、ヒト、モノ、カネの分類だと、ヒトに属するものだと考えます。
そこで、本題のこの世に何を残すのか?という話です。
【昔】
ヒト・・・配偶者、子供
モノ・・・家、車などの有形資産
カネ・・・多ければ、多いほど良い
【今】
ヒト・・・家族に限らず、共感できる人、自分の意思が伝わった人
モノ・・・サービスや旅行などの無形資産
カネ・・・多ければ、多いほど良い?
無形資産については、旅行を例に例えると、現地で撮った写真というのは、唯一無二になり、資産としてとらえることができます。また日記や旅行記などでデータ上に残すということも、同じく資産です。
昔と今でだいぶ、変わってきたと思います。特にカネについては、多ければ多いほど良いという考えが、否定されてきました。その一番感じられる行為が寄付です。理由は節税、新しいプロダクトが欲しいなどもありますが、無償で寄付を行うというのは、言い換えれば、カネのシェアをしているのと同じです。
人それぞれ、残すものは違ってきますが、残す質と量については、行動と経験がものを言います。
この世に残せるものも、仕事と同じくヒト、モノ、カネだと思うと、それに対する行動と経験で、その人が「いた」という証になるのではないでしょうか?